2014/3/28 1:40
非鉄の合間に-3 他線区
少し経ってしまいましたが、先日出雲大社に行って来ました。
出雲大社と言えば、かつては急行「だいせん」が大阪から大社まで夜行で直通していました。小学校の頃発行された線区別の本にその写真が掲載されており、とてもかっこよく思えたのを覚えています。でも、子供には少々高かったので買えませんでした。
時刻表を見ると、大社線の列車は気動車ばかりでしたが、朝の上り列車に客レがありました。夜行「だいせん」の返しが出雲市まで営業運転していたと思われますが、当時の長距離列車の車枚はゴミだらけで、おそらく清掃はされていないでしょうから、いくらナハ21に乗れたとしても快適とは言えないかもしれません。
ちなみに20系時代の夜行「だいせん」には、出雲市行になってから乗ったことがあります。当時は自由席が1両のみで大変混んでいました。ナハ21のシートは薄緑色の大きな段のあるモケットで、高い天井、BOXシートとは言え国電とは違い大変広く快適でした。車番などは控えていませんが、指定席車は青い普通のモケットに張り替えられていました。国鉄としては、少し手も整備された車両を指定席に充てようと配慮していたのかもしれません。
今でも大社駅舎は残されており、構内にD51が静態保存されています。
本当はじっくりとみたいところではありましたが、今回は非鉄なため車窓から見るだけでした
一畑電鉄の出雲大社前駅の前も通りましたが、こちらも見るだけ
旧南海ズームカーが出発していくのが見えました。
少し無理を言って

体験運転に使われるデハニ52だけは撮影デキました。

しかし、次の電車までは待ってもらえず…


道中では伯備線の黄色い115系や山陰線のキハ47、381系、285系もその姿を見ることが出来ました。線路脇に行ったわけではないのに豊作
でしたが、やはり撮りたいですね。
今回は鉄路とは無縁でしたが、山陰地方は客レが走っていた頃によく行ったので懐かしかったです。

急行「だいせん」はまともに撮ったことがありません。
連写機能がないため、シャッターを押した瞬間「アッ
」

天気がダメですが、人気だったDD51重連「出雲3号」。
あ〜懐かしい
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出雲大社と言えば、かつては急行「だいせん」が大阪から大社まで夜行で直通していました。小学校の頃発行された線区別の本にその写真が掲載されており、とてもかっこよく思えたのを覚えています。でも、子供には少々高かったので買えませんでした。
時刻表を見ると、大社線の列車は気動車ばかりでしたが、朝の上り列車に客レがありました。夜行「だいせん」の返しが出雲市まで営業運転していたと思われますが、当時の長距離列車の車枚はゴミだらけで、おそらく清掃はされていないでしょうから、いくらナハ21に乗れたとしても快適とは言えないかもしれません。
ちなみに20系時代の夜行「だいせん」には、出雲市行になってから乗ったことがあります。当時は自由席が1両のみで大変混んでいました。ナハ21のシートは薄緑色の大きな段のあるモケットで、高い天井、BOXシートとは言え国電とは違い大変広く快適でした。車番などは控えていませんが、指定席車は青い普通のモケットに張り替えられていました。国鉄としては、少し手も整備された車両を指定席に充てようと配慮していたのかもしれません。
今でも大社駅舎は残されており、構内にD51が静態保存されています。
本当はじっくりとみたいところではありましたが、今回は非鉄なため車窓から見るだけでした

一畑電鉄の出雲大社前駅の前も通りましたが、こちらも見るだけ

旧南海ズームカーが出発していくのが見えました。
少し無理を言って

体験運転に使われるデハニ52だけは撮影デキました。

しかし、次の電車までは待ってもらえず…



道中では伯備線の黄色い115系や山陰線のキハ47、381系、285系もその姿を見ることが出来ました。線路脇に行ったわけではないのに豊作

今回は鉄路とは無縁でしたが、山陰地方は客レが走っていた頃によく行ったので懐かしかったです。

急行「だいせん」はまともに撮ったことがありません。
連写機能がないため、シャッターを押した瞬間「アッ



天気がダメですが、人気だったDD51重連「出雲3号」。
あ〜懐かしい


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