先週はじめからの台風7号と梅雨前線での大雨。
それが、こんな大惨事になることを
誰もが想像していなかっただろう。
各報道の通り、平成最悪の豪雨災害になる。
現時点での死者と安否不明者を足すと
200人を超す可能性も出てきた。
この被害の規模はまれに見る災害規模である。
気象の経過や情報の発表の顛末は
各報道にゆだねるとして、
今回は「限界」について考えてみる。
最近、私たち災害担当記者の中では
こんな議論をしている。
特別警報や避難指示などの情報うんぬんではなくて、
なぜ、ひとは危険が迫っているのに逃げないのか・・・
そんな根本的なところに、話は及んでいる。
というのも、
情報発表のタイミング、中身すべてを把握できていないが、
今回の災害は、情報発表が遅いという印象は、私自身持っていない。
特別警報の発表も概ね想定しているとおりの運用だ。
特別警報の前にも大雨警報、土砂災害警戒情報は発表されているし
自治体が避難勧告、避難指示など出されていたはず。
気象庁の予報の精度、避難情報の的確さ
そういった情報の中身の精度や
発表のタイミングの問題ではなく、
それぞれの人が「自分事」であるという認識を
持っていたかどうかという点だ。
これ以上、その人その人それぞれの人の環境に合わせて
情報を発するには限界があるだろう。
行政はやることはやった。
あとは、受け取る側の問題だと言うこと。
自分が、いまどんなところに住んでいて
そこには、どんな危険があるか、
どういう状況になったら逃げる必要があるのか、
それは、事象ごとに、考えておく必要があるし
ケースごとに、待避の方法は違ってくる。
それをあらかじめ頭の体操しておく必要があるのだ。
そもそも、人間は危険回避能力を元々備えているはず。
野放しされたライオンが目の前にきたら、
追いかけられないように、そっと逃げる。
大雨が降って、水がそこまで来ていても逃げないのか。
私が考えるに、この手の情報は
近年きめが細かく整備された。
新しい災害が起きれば、その問題点を克服するだけの情報が新設される。
また別の災害が起きれば、新たに増える。
それを繰り返すうちに、情報があふれてしまった。
日本らしさが、悪い意味で出てしまった格好だ。
ここまで親切だから、
言われないと動かなくなってしまった。
いわゆる「指示待ち」の状態だ。
自ら動くのではなく、指示じゃないと動けない。
もちろん、身近に迫っている危険に
気づかないこともあるが、
それぞれ置かれた環境下で
自分でアンテナを張って、
危険を感じたら身の安全を確保するための
安全確保を自分自身ですることが何より大事。
その、逃げるための手助けをするのが情報である。
これ以上、情報を増やしても
命を救うには限界があり、
情報ありきで考えるのではなく、
情報は、参考以外何物でもないと
意識を変えていく必要があるのではないだろうか。
実は意識を変えることが一番難しいのだが。。。

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