あの瞬間から早1週間経つ。
これまでの人生でもっとも短く感じる1週間だったように思う。
今朝、6時前に何度も目が覚める。
ちょっとしたトラウマかもしれない。
きょうから、会社復帰。
長い休みだった。
先々週末の15日土曜日、娘の退院からはじまり、
その夜から、実家へ一時帰り、
翌16日日曜日、父の病院へ見舞う。
今思うと、この帰省は何かの前触れだったかもしれない。
会っておけて、本当によかった。
その夜のうちには、東京へ戻り、
17日月曜日の敬老の日、妻と娘と買い物へ出掛ける。
その夜、再び父の病院へ。
翌18日火曜日の明け方、父を見送る。
その日、一日中、準備などに終われる。
病院から寝台車で自宅へ、
自宅では、親戚や隣近所が集まり、しにぶれ(通夜、葬儀の日程を決め、報告する会)
自宅の車とは別に移動用でレンタカーを借る。
市役所支所へ死亡届を出し、火葬証明書をもらう。
午後一番で妻と娘が駆けつけてくれる。
ふたりだけで、新幹線へ乗ったのも初めてのこと。
自宅には、訃報を耳にした客人が訪れる。
19日水曜日、
昨晩は父と、同じへ屋で寝る。
寝たと言っても、何かが脳裏を横切り、深く寝られなかった。
夕方前、義理のご両親が遠路、訪れてくれた。
出棺前、続々と自宅に人が集まる。
出棺の17時には、30人ほどの近所の方が、見届けてくれた。
通夜は、100人近い方に参列していただき、盛況と言うのも変だが、無事に終えることができた。
今夜は、葬儀場に父、妻、娘、とともに泊まる。
20日木曜日、
世の中は自民党総裁選、天皇被災地訪問など
ニュースが踊る。
きのうまでの晴れの天気から打って変わって、シトシト雨。
父との思い出に、雨はあまり記憶にない。
涙雨だろうか。
9時回ると、ひとが集まり出す。
10時、葬儀・告別式がはじまる。
出棺、通夜、葬儀と3度目の喪主の挨拶。
11時、いよいよ火葬場に向けての出発。
11時半、本当のお別れ。7号炉へ入炉。
13時半、収骨。骨太だとのこと。
14時過ぎ、初七日法要。
15時、食事会。
15時半、散会。長い一日が終わる。
21日金曜日、
市役所支所へ、父の年金などの手続き、
母は、保険請求など、各所へ連絡。
22日土曜日、
父が生前、食べたがっていたうなぎを岡崎のはせべに、
父の写真を持って食べに行く。
帰りに、母の実家へ。
23日日曜日、
父が息を引き取った病院を横に見ながら
三河安城から東京へ戻る。
24日秋分の日、
日常へ戻るためのリハビリの一日。
25日火曜日、
会社復帰、初日。
いつもの時間に家を出て、
いつものように、
自転車置き場のおじいさんは自転車を整理し、
駅前の眼鏡屋の若旦那は軒先を掃き、
満員の地下鉄…
連日、父のために奔走してきた日が終わり、
いつもの日常に戻ることが、
寂しくも感じる。
まだ服喪からさめるのは早すぎる。
この1週間の出来事は忘れまい。
次、父に会えるのを糧に、いつもの毎日を頑張ろうと思う。
きっと、父も私が怠惰な態度をとることは望まないだろうから。

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