前回記事では
KATO新製品14系寝台客車のインプレを行いました。
また今年末には24系「ゆうづる」とともに上越周り10系+旧客「能登」が製品化。第二弾として現在の489系「能登」も製品化予定。あれ?ちょっと待って。その間に14系の「能登」もあったよね・・・。
14系座席車は波動用で予備編成があったので、14系寝台を配置すれば「能登」ができるじゃん!しかも佐世保編成を3両ずつで2編成作れる?じゃあもう一方は「妙高」に決定。EF62はいずれKATOから出るはず(?)だからね。
でも、軽加工が必要です。

ハネの中間連結器はキハ82系でも使われていたKATOカプラ伸縮密自連形。このままでは14系ハザとの連結はできません。当初はストックにある24系北斗星の台車と交換すれば程度に考えていましたが・・・

スナップオン方式なので断念。引き続きストックパーツを漁っていると、以前
キハ30をTN化した時に余剰となったカプラーセットを発掘。なんか使えそう!
ツメの位置は同じです。

カプラーポケットのツメを逃がす必要がありそうなので、これは床板側に開口してあげれば済みそうです。

ベースをはめ込みます。ピッタリ収まります。赤くマークしているところを開口すればOKそうです。

開口したい部分をシャーペンで印ます。

大まかにピンバイスで穴を開け、あとはカッターで切り欠いて行きます。

あとは伊予工場お得意の現物合わせで調整していきます。

そして完成。

どうでしょう?

いまいち自信がないのですが、ハネとハザの連結向きはこれであってるのかと・・・。
ハネのドア位置をハネフに合わせるとトイレ側がハザと向き合います。

こんな感じで・・・。
今さらおさらいですが、今度KATOから発売される上越周り10系「能登」は昭和53年3月から昭和57年11月の改正まで。その後平成5年3月改正まではEF62牽引信越周りの14系ハネハザ8両編成でした。そして昭和61年ごろまでは上野寄りにマニ50が連結されていました。

折角のスハネフ14の顔が見えなくなるのが残念ですが、これはこれで面白い凸凹です。また昭和57〜58年度には金沢に14系寝台が配置されており、この能登の運用に付いていたものと思われます。
一方「妙高」は上野と直江津を信越経由で結んだ急行。昼行は早々とDC化、EC化されましたが夜行はPCのままでしばらく存置されました。
「能登」と同じく昭和57年11月に10系ハネ+旧客ハザから14系ハネハザ8両編成になりました。運行距離の短さからか、寝台連結は約3年ほどで電車化、昭和60年3月から169系へ、昭和61年11月からは189系に移行しています。

さて模型の方の14系「能登」「妙高」に話を戻します。テールサインはおそらく「急行」だったかと。スハフ14についてはOKですがスハネフ14は問題あり。

とりあえずペンギンモデルの14系シリーズなら使えるのではと当て込んでいます。あと当局のこだわり車両番号は、くろま屋さんから「14系寝台車番(尾久)」が出ていますので、それを利用して昭和57年ごろに尾久、金沢にいた車両を見繕う予定でいます。14系座席車もインレタが発売されています。
とりあえず、これで当局には第1.5弾とでも言いましょうか、信越周り時代のPC「能登」とおまけの「妙高」が出来上がりました。あとはKATOさんがEF62を発表してくれるだけですね(爆)
とりあえず伊予工場、本日の業務日誌(笑)はカプラー交換がメインとなります。インレタ貼りかえなどの進捗はまた後日。
そう言えば明日からは「シルバーウィーク」だとか。ゴールデンに次ぐ連休だからシルバーですか・・・。次は6年後にやってくるそうです。ま、祝日とかは私には関係ありませんので、逆に忙しい時期となります。いっつも連休や繁忙期開けに風邪をひいてしまうので、今回は体調を万全に保ち連休明けの休みを堪能したいなぁ・・・。
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