2018/11/5

ブローニー判のスキャンの悩み  海外蒸機

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Berlin北方の何処か線路際で撮った写真です。 1976年8月です。 狙ったのは Rostock・Sassnitz に向かう Schnellzug を牽く 03-10 でしたが、例え 52 が来てもシャッター切っていたんですね。
あれっ?なんだかおかしいな・・・

機関車中央部がボケている

師匠の増田泉さんの教えに従い三脚に載せて6×6に250mmつけて流してみたものです。

もうちょっとマシに撮れていたような気がします。

スキャナは Nikon coolscan 9000ED

6×7より6×6の方がむしろ酷い結果になる様な気がします・・・ネガが反っているんですね。

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我社のスタッフが情報収集した結果、此処に至りました。
無反射ガラスに挟んでフラットベッドスキャナーで取り込むのです。

実は 01 2120-2 の写真は Nikon 9000 ED なのです。
もしかしたら反っているかも・・・
Dresden中央駅で撮った写真などにそれが現れているかもしれません。

なにせ全部やり直しなのです。 がっかりです。

これを機にネガやポジを探せたら良いですね。





2018/11/3

01 2120-2  海外蒸機

1970年代 鉄のカーテンの向こう側、東ドイツの大幹線 ベルリン〜ドレスデンにゼロイチが活躍していました。
急行列車は全てゼロイチ!その半数は名称付国際列車。 常時120km/hで爆走!

情報はほぼ皆無、人民警察は多数が待ち受け、西ドイツ人は立入禁止。
最期まで他の鉄道カメラマンを見ませんでした。

慶應鉄研の1年先輩の名カメラマン、増田泉さんが私を此処に連れ込んみました。
2人は大学卒業式をすっぽかして西ドイツ、Franckh社に入り浸り、写真集“ Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR ”を出版しました。

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1977-08-09 Bw. Dresden-Altstadt

01 2120-2 はすなわち 01 120 です。
01 2118-6 とともに原形(ワグナーデフ装備)のドレスデン機関区所属機の中では最も調子が良く、頻繁に眼前に現れる機関車でした。

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1977-08-09 Bw. Dresden-Altstadt

01 2120-2 前頭部です。
ゼロイチ後期形は先輪直径1000mmでブレーキが強化され、動輪は対角位置から挟むタイプとなり、最高速度は130km/h(前期形は120km/h)でした。
01 120 は後期形の中で最も原形に近い美しいカマです。
118や204、207はシリンダーブロックを 01-5 の様な組立式に交換されて居ました。
137や204は砂箱増量で砂箱にバケツを被って居ます。
後期形の中で断然美しかった「超」好調機が保存されなかった事が信じられません。

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“ Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR ”に書かれた説明(原文は日本語)です。

01 2120
この機関車も1976年に切詰形除煙板から原形に戻されている。 シリンダは原形のままで後期形の中ではいちばん原形を保っていた。 火室部の洗口が余計に付いているのが変わっている。

日本語の原文は英訳され、西独のFranckh社に送られて Alfred Gottwaldt さんによってドイツ語訳されて上の様に表記されました。

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1977-08-09 Bw. Dresden-Altstadt

洗口は模型パーツ名洗口栓として知られていますが、此処に見える姿は「閉」ですね。 右側通行のドイツ国鉄は右運転台で、こちらが公式側となります。 逆転器レバーの上、パイピング直下に見える洗口は通常付いているもの。 一番上にずらりと並んだ洗口も通常。 両者の中間に挟まっているのが 01-120 の余分な洗口です。

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1977-08-09 Bw. Dresden-Altstadt

原形のシリンダーブロックは鋳物でバルブギヤの取付部がヒダヒダになって居り、精巧な作りに見えます。 ロッドの形状や溝の形状が判る角度で撮れているのは偶然です。 ゼロイチのバルブギヤ、ラジアスロッドやエキセントリックロッドは日本の蒸汽機関車と異って工作の手間が掛かる溝付き、ロッド同様溝には丁寧に赤色の塗装が施されていました。
勿論この赤は動輪全体と同様、傷・亀裂を発見し易くする目的でした。

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1976-07-22 Weinböhla~Böhla D170 Stadteschnellverkehr

我々が最も愛した撮影地、ヴァインベーラ〜ベーラで D170 Stadteschnellverkehr シュタットシュネルフェルケール、略してSSV「都市間急行」を牽いて現れた 01 120 です。

西欧のICに相当するSSVはドレスデン〜ベルリン間の急行停車駅エルステアベルダ、ドーベルルーク・キルヒハインに停車しない速達列車です。
ドレスデン・ノイシュタット〜ベルリン・シェーネフェルト間の平均速度は100km/hを超え、市内線を行く部分を含めても表定速度は90km/hを超えます。

このヴァインベーラの丘陵地帯はライプチッヒ線をオーヴァークロスして分岐、その後駅を幾つか通過後、連続カーヴの上り勾配を行く区間で速度は大凡100km/hと01としては低速、そして全開力行してきます。

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“ Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR ”にも掲載され、その原文が載った慶應鉄研部内誌“ミキスト”(実はこれはそちらから転載)にも載せたDR(東独国鉄)時刻表の一部です。

急行列車はゼロイチですが、準急(Eツーク)各停、貨物はDL牽引です。 我々はD270“Meridian”メリディアン号(ユーゴスラヴィア〜ハンガリー〜チェコスロバキア〜東独〜スウェーデンを結び、南北に欧州を縦断するので子午線を意味する“Meridian”を名乗ります)から撮影開始ですが、運用がベルリン・オスト機関区なので01原形よりも01-5が来る可能性が高く、しかも暗いです。 D170が最初になります。

この年は D378 Istropolitan も途中駅通過でSSVと同じ所要時間ですね。
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“ Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR ”のゼロイチ列車紹介のページです。

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1976-07-22-2 Grossehein〜Böhla D371 [Pannonia Express] Berlin-Praha-Budapest-Beograd-Sofia

南行き列車です。
実は D1275 Metropol かな?ブダペスト行かソフィア行きか悩んだのですが、この1976年8月のパンノニア・エクスプレスは目立つハンガリー客車(水色に白線)の比率が少ない様ですので「パンノニア」の可能性が高いと考えました。
「メトロポール」号は南端側にハンガリーの寝台車が2〜3両連なる編成であることが多いのです。 この日「Metropol」は8_をパーンして撮っており、スチール写真がないので此処で確認できないのです。

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1976-07-23 Dresden Hbf. D378 [Istropolitan] Bratislava-Praha-Dresden-Berlin

ドレスデン中央駅でベルリンへ向けて発車を待つ D378 Istropolitan号です。 国際列車なので橋上ホームです。

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1976-07-23 Dresden Hbf. D378 [Istropolitan] Bratislava-Praha-Dresden-Berlin

イストロポリタン号はスロバキアの中心ブラチスラバ(現在はスロバキアの首都)からプラハドレスデン経由でベルリンに行く通年運行の国際列車で、D378では機関車次位に赤いミットローパ寝台車が付いた全車尖り屋根の美しい編成でお馴染みです。
・・・1977年は違うらしいという驚きの展開を見せつつあります。

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1976-07-24 Böhla〜Weinböhla D673 Berlin-Dresden

並の急行列車を牽いてヴァインベーラの大築堤を下り込もうとする 01 120 です。 国内急行には便利な開放室のナハ10の様な客車が続きます。

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1976-07-28 Dresden Hbf. D678 Dresden-Berlin

これも並の国内急行D678の先頭に立ち、Dresden中央駅中央部の行き止まり式ホームで発車を待つ 01 120 です。
この列車は1976夏は20:16発 充分撮影可能な時間です。
我々が夕食を食べるDresden中央駅のミットローパエクスプレス(駅のセルフレストラン;人民食堂と呼んでいました)は20:00で暖かい食事の提供を終了します。 朝、昼食「抜き」の我々には実に冷たい仕打ちで、物凄く固いごつごつした冷たい腸詰めに食いつくしかないのです。

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1976-07-28 Dresden Hbf. D678 Dresden-Berlin

同じ時の 01 2120-2 です。 発車はこの位置から撮りますので11両編成の最後尾線路終端部を回って此処へ回り込んだわけです。
とても小さなジッツオの4段三脚を使って撮ったモノと思います。 発車はその三脚を使って8_を回したと想像されます。 そもそも三脚は8_を撮るために持ち歩いていました。

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1976-12-24 Weinböhla〜Böhla D924 Dresden-Berlin-Rostock from Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR

“ Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR ”をスキャナーで読んだ写真です。
実はこの時のブローニー版カラー写真、見つかったのか見つかっていないのかもよくわかっていません。 探す時間が有ったら他のことに使うので探さないでしょう。
D924 は夏の間 D1274 Metropol として運行しているブダペストからの列車が冬の間国内列車になるものです。 それでもスウェーデンへの船が出るロストックまで行く列車なので立派な食堂車が連結された素晴らしい列車です。 もっとも、並の国内急行列車も全て食堂車が付いていて営業しています。
しかしゼロイチが速く、ベルリン〜ドレスデン間2時間少々で着いてしまうので営業が成り立つ感じがしませんが。

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1976-12-25 Dresden Hbf. D925 Rostock-Berlin-Dresden from Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR

これも本からのスキャンです。 お恥ずかしい!
D924/925国内急行の食堂車は戦前型の旧い立派な赤い食堂車です。 夏のメトロポール号では特に気がつかないので旧型車ではないのでしょう(食堂車と寝台車はミットローパによる経営なので真っ赤な車両です)

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Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR です。
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Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR の表4です。

ドイツ語で内容説明が書いてありますが、此処だけは我々の日本語原文ではなく出版社が顧客向けに書いた紹介です。 やれ「いつの何処で」撮った写真が「何枚」載っているよと書いてあるようです。
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こちらは「増田・イモン」による前書きです。

原文;
 一口に蒸気機関車といってもこの言葉から思いおこされるものは人によって様々であろう。 好きな者なら誰しも特別な思い出や、あるいはお気に入りの機関車があるものだ。
 操車場から長大な列車を引き出す大きな貨物列車機関車、勾配で喘ぐタンク機関車、平地を疾走する旅客列車用機関車などの姿。さらには、庫の中の石炭と油の匂いに思いを馳せるかもしれない。
 そんな中で私達をいちばん惹付けたのは、大型客車を引いて全速力でやって来る急行列車用機関車であった。 急行用機関車は、速さ・力・効率そして信頼性を高度の調和の下に凝集して設計される技術の結晶である。 そして鉄路の花形として活躍してきたその足跡は一つの時代を象徴している。
 そのような急行用機関車の代表格の一つが最後の生残りとして蒸気機関車の全盛時代を垣間見せてくれた――それがベルリンとドレスデンを結ぶ路線を走る01であった。

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Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR の開いた感じです。 ひたすら写真を大きく使っています。

左はD924、右は Dresden Mitte 駅付近を行く D372「Balt-Orient-Express」です。 何時間も遅延したので撮れたのです。

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スキャンに使ったページです。

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Mr. Alfred Gottwaldt

ドイツ語の文章を書いてくださった Alfred Gottwaldt さんに会えたのは2014年11月でした。 ドイツの高速試験車、高速車両の専門家で日本で講演をするために来られたという凄いチャンスを捉えることが出来ました。

「私は昔Frackh社から01の写真集を出した者です」と言ったら「おぅ、それはよく覚えて居るぞ、マスダ・イモンか!」という驚きの言葉が返ってきました。

https://www.yadvashem.org/research/about/studies/44-1/zisenwine-pasher.html

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1976-12-25 Dresden Hbf. D925 Rostock-Berlin-Dresden

「白黒も撮りました」という写真です。
国内急行なのに橋上ホームに到着していますね。
夏はD1275メトロポール号である列車なので運用上この位置に到着するのでしょう。 次位の客車は東独のナハ10開放室ではありません。 尖り屋根形客車になる前の旧式コンパートメントです。 全長が短くない(短いですが)ので車端部がわずかに絞られているのでそれと判ります。

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1976-12-29 BerlinSchönefeld〜Ost Bf. D924 Dresden-Berlin-Rostock

珍しく晴れた日のベルリン市内です。
フルークハーフェン・ベルリン・シェーネフェルトから市内方向へSバーン一駅行ったグリュンベルガレエ(此処まではベルリン1日ビザで来られました。 この時は1日ビザではないと思いますが)で降りて歩きます。S-Bahn一駅分来た此処はベルリンOst行列車が猛烈に蒸かしてやって来る絶好のスポットでした。

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1976-12-29-2 Berlin Ost bf.

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1977-08-11 BerlinSchönefelt〜Ost Bahnhof

雨の日ですね。
驚くべき事にこの列車が D378 Istropolitan の可能性が高いのです。 理由は、前日 D378 に乗ったのですが、機関車次位ナハ10開放室なのです。 そして、次の写真 D1275 Metropol 号らしいのですが、D378 で行かないと 01 2120-2 が運用に就けないと考えられるのです。

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1977-08-11 Berlin Ost bf. D1275 [Metropol] Rostok -Berlin-Dresden-Praha-Budapest

ベルリンOst駅を発車してきたメトロポールと思わしき編成です。
Berlin Ost bf.からS-Bahn 次の駅 Bahnof Warschauer Straße で下車、Ostbahnhof 寄りの出口から鉄道を渡る道路の上に出て発車してきた列車を狙います。 されど、警察が怖いので橋の上でカメラを構える時間を30秒程度に絞りました。 S-Bahn のホームから01列車が発車してくる姿を見て「今だ!」というところで階段を駆け上がりカメラを構えます。 左右に位置を変える時間はありませんので見える情景を推理しながら「コレ」と選んでおいたレンズで一発で仕留め、あっという間にホームへ降りて最初の電車でその場を去ります。 私は東ドイツで警官に8回捕まりました(慣れています)が、此処で捕まったら日本に帰れないかもしれないと思うほど怖い感じがする場所でした。

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1977-08-15 Radebeul West〜Neucoswig D378 [Istropolitan] Bratislava-Praha-Dresden-Berlin

Radebeul West,Neucoswig,Weinböhla などという駅はこの路線にはもうありません。 Leipzig 行の路線に駅は移ってしまい、名前も変わってしまいました。地図を見て唖然とします。 もう40年以上経過したのですね。
それにしても、この列車はやはりD378 Istropolitan 号のように思います。 ドレスデン中央駅でベルリン側に2〜3両の開放室客車が増結されるようになったのではないかと思います。
この年1977年時刻表で見るとD378はDresden Hbf.9:10 着 9:29 発19分停車ですが、前年冬は11分、昨年は12分停車でした。 発車時刻や到着時刻をみても夜行から昼行列車にドレスデンを境に性格が変わる列車になってきたのではないかと想像します。 40年以上経過した今になって増田さんと議論しなくてはいけないのかもしれません。
私も昨日までイストロポリタン号は全部尖り屋根で、機関車次位は赤いミトローパ寝台車と信じ切っていました。

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1977-08-16 Böhla~Weinböhla D1275 [Metropol] Rostok -Berlin-Dresden-Praha-Budapest

ヴァインベーラの大築堤を行くメトロポール号です。 ドレスデン・ノイシュタット駅着17:44のこの列車はギラリを狙うには絶好の列車でした。 実はイモンはそのギラリに取憑かれて毎日此処でこの時間を過ごしていたと言っても過言ではありません。 晴れることをお祈りして居ました・・・たった一回だけ晴れました( 01 2118-6 が来てきっちり捉えることに成功!されど何故かFranckh社にボツにされました )
大雨に遭った事もありますが、何十日間に亘って全て曇りです。 我々はこの曇天を「ドイツ曇」と呼んで悲しみました。
後年、テッド・タルボット氏が曇った日は撮らない・・・その理由は日本語で一言「ゴミ」と言いました。
そうです、ゴミなんです。
私もゴミは嫌いなので曇った日は晴れたら撮ろうと心に決めていたこの場所でこういう撮り方はしませんでした。 何かの気紛れで撮った写真がコレです。 120番が来て良かった!
ゼロイチの流し撮りは師匠たる増田泉が「芸術の冴え」を見せますが、師匠の教えに「必ず障害物を入れて撮れ!そうしないとつまらない写真になる!」と言うのがありました。 この写真が成功しているのかどうか・・・
ともかく1/125です。 01ではそのシャッター速度を守ると僅かにスポークが残るこんな写真になります。
この写真、洗口が多い 120 の特徴が判り、キャブ上でお餅が焼けるようになっているDR機の乗務員への配慮が判ります。 あそこで焼いたお餅を一度食べたかったです。

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1977-08-17 Dresden Hbf. D1279 [Warnow] Warnemünde-Berlin-Dresden-Praha

この列車が Dresden Hbf.5:05 着の D1279 “Warnow”かどうか確実ではありません。 “Warnow”はDresden滞在中に狙う夏の一番列車でチェコスロバキア国鉄 ČSD の尖り屋根客車で組成された美しい列車だった事からやはりそうだろうなぁと思うわけです。 駅進入の撮影になったのは寝坊したからで有り、列車も遅れているかなと思います。
この日はドレスデン撮影最終日で増田さんも私も別の目的地へと東独を去る日、その朝ですが、その最終日も我々は無残な惨敗を喫します。
ゼロイチ牽引急行列車同士のすれ違いを狙い、やはりダメだったという事件が Die Letzten 01-Lokomotiven bei der DR にも書かれています。 これはそんな日の朝です。






2018/6/29

おもちゃの機関車  海外蒸機

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鉄道趣味の大先輩から凄い頂き物をしました。

鉄道おもちゃ、

大きさはルーペとボールペンを横に置いています。 割合小さいモノです。

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箱の絵とは違う中身。

中国蒸機前進です。

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緑色。

面白い、かつ鋭い緑色。

HOスケール!まさにそんな感じ!

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右側シリンダーに電池のON/OFFスイッチとしてのPETのフリップが付いています。

先輪は付いていませんが妙にリアルな外観。

コンパクトなパッケージの中からBIGな機関車が登場です。

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素晴らしい、なかなかに凄い並々ならぬ造りです。

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テンダーが凄い! これは復水式か?

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この模型は(おもちゃじゃないかも)こんなメーカーの製品です。

さて、こんなテンダーは目にしたことがあります。

手持ちの資料の中に発見しました!

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この写真集です。

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中国蒸汽机車世紀写真集

21世紀の初年、2001年の発刊です。

重くて分厚い写真集、288元(4000円位)です。

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QJ前進U形0001号でした。

解説を見て意味を以下のように解釈しました。

大同機関車工場で、QJ形蒸気機関車をガスパワー機関車に試作改造を1981年に開始、6年後の1986年9月にこの試作「ガスパワー機関車」が完成しました。
そして試験走行が成功裏に進行していたようです。
しかし、
その時既に将来の鉄道の主力動力車をディーゼル機関車と電気機関車にしていくことが決定されていました。
そのため試作ガスパワー機関車開発プロジェクトは継続されなかったということです。


電池の接触を回復した状態でテンダー後端を下げる力を加えたり、機関車とテンダーを連結するとヘッドライトが点灯、それぞれ違う音のアクションが楽しめます。

また、チョロQとして機能します。


先輪省略のおもちゃにこの難しそうなガスパワーテンダーが付いた理由は謎です。

また「ガスパワー」とはいったい何なのか私には解りません。

ガスタービンとは違う気がします。

タービンではなく発生させたガスでシリンダーを駆動するシステムということでしょうか。

そのチャレンジ魂も良しですが、その凝ったテンダーを作ったチャレンジ(単にもっと簡単で良い事が解らなかった?)魂に拍手!



さて、この前進U形蒸汽機関車について一夜明けて新しい情報が入ってきました。

この前進Uにおいても、過熱蒸汽をシリンダーに送り込んで駆動するのは同じですが、ガス発生装置を使って火室内に燃焼ガスを送り込むモノのようです。

そしておもちゃではなくバックマンのHOモデルが存在することが判りました。

http://www.chinesemodeltrains.com/encyclopedia_qj2.html

中国国鉄、大連機関車工場で1981年QJ 6191 を使って改良実験が始まったようです。実験的な長方形排出器と修正されたブラストパイプ(前進型に時折装備されているギースルエジェクターの事と思われます)、および増大した過熱装置エリア。
QJ2 0001は、鉄道科学の中国アカデミーと連携してデザインされた非常に斬新な機関車であった。普通の前進型の火室にバーナーを設置してそこにテンダーに搭載された石炭ガス化プラントから供給されたガスを吹き込んで燃焼させるというものです。

QJ2はわずか3回の不満足な試運転をしただけで、結局普通の前進型に改造され、1992年にQJ 7291として国鉄から産業に売られたようです。

石炭ガス化プラントを乗せたテンダーは沈陽のパシナの様な青に塗装されて大同蒸汽机車陳列館で見ることが出来そうです。



“Red Devil”開発者として有名なディビッド・ウォーデール(David Wardale)氏が中国前進型改良型開発を実現するために1980年代半ば大同機関車工場で従事していました。テストはGas Producer Combustion Systems (GPCS)を2両の前進型に装備しました。
1両目〈QJ 7036〉は低気圧性GPCSによって再構築された従来機関車で、それは後でオリジナルに復元されて1988年に売られた。
2両目〈QJ 8001〉は新しく従来のGPCSによって築かれた。
QJ 8001はホフホトと包頭の間の数ヶ月に亘ってテストされたましたが1988年中国国鉄の方針はディーゼルおよび電化に方針を転換したようです。

ディビッド・ウォーデール氏は1989年に中国を去ったようです。

http://www.jcoal.or.jp/coaldb/shiryo/other/c3-8.pdf

https://translate.google.com/translate?hl=ja&sl=en&u=https://www.martynbane.co.uk/modernsteam/ldp/gpcs/gpcs-rc.htm&prev=search

https://www.google.com/search?q=Gas+Producer+Combustion+Systems&client=firefox-b&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwj96rz0g_jbAhVIrJQKHfP2Da0QsAQISQ&biw=1536&bih=1399






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