2018/8/15

JAM2018 “北海道”  国鉄時代

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会社の行事予定表がこんな感じになっています。

モデルスIMONは全店閉鎖して全員会場で働きます。 本社も基本全員参加です。

さて、今年の“北海道”というテーマでまず思い浮かぶのがこの『北辺の機関車たち』です。

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左が最近になって復刊ドットコムから再出版されたものです。

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販形はそっくりですが、僅かに小さいです。

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上が復刊、下が第二版、昔のページです。

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復刊するに当たって、収録された写真は殆どもう一度理想的な再現が出来るように古い写真をもう一度焼着直したりという現代レベル化までされています。

下が焼き直したモノ。

フォーラムディスカッションに選ばれたのもこの『北辺の機関車たち』

http://kokusaitetsudoumokei-convention.jp/forum-discussion_2018/

3人の著者が一緒に居ること自体が貴重なこの著者御三方、写真撮影時のエピソードや狙いなど解説していただきます。

“フォーラムディスカッション”と称して居る割にはこれまで「ディスカッション」になって居ないように思われていましたが、今回は各撮影者ごとに記憶が微妙に異なっているなど、本物のディスカッションになってしまうかもしれません。

是非お楽しみに!お見逃し無く!!

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最近「アレ」はどうした?と聞かれます。

こんな体重推移です。

激しい「山」は菅平行です。

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苦闘の様子が偲ばれるでしょうか・・・


ともかくJAMまでは体を壊しかけながら死にものぐるいで頑張ります。



2018/8/6

鉄子の旅より酷い 北海道1977-4  国鉄時代

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遠軽での宿泊はビジネスホテル“イワサキ”です。

宿を引き払って次の目的地に向かいます。

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朝9時台だったかの名寄本線キハ2212単行に乗ります。

向こうのホームに停まっているのは網走発小樽行石北本線522レです。

(二重写しを此処で使ってしまいました)

写真には有りませんが、この後紋別で降りて昼食を摂ったと思われます。 多分渚滑ではなく紋別だと思います。
(まんいち渚滑だったらうけるね!)

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沙留駅には駅員さんが居ますね。

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興部〜上興部〜一ノ橋〜下川と来て交換待ちの間に記撮です。

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紋別から乗ってきたこの列車は キハ22 1 単行でした。

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名寄に到着しました。 3年前にも家族で此処にやってきました。 そのときは宗谷本線324レ(C5787牽引・・・残念!C55じゃなかった!)で稚内から到着したのです。

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3年前にも泊まった富士屋旅館に泊まります。

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翌日はキハ2231単行に乗ってまた名寄を旅立ちます。

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キハ2231は一個だけ押込ベンチレーターを残し、5個はガラベンに交換されています。

キハ2247単行の列車に乗り換えます。 さて此処は何処でしょう?

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朱鞠内(しゅまりない)でした。

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北海道で一番運休になりやすい豪雪の深名線です。 私の経験ではダントツ1位が深名線、次いで羽幌線、三位以下は引き離されて団子状態だったです。

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鷹泊駅でも交換で長時間停車

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交換列車はキハ2245単行。 ヘッドライトがブタ鼻(シールドビーム2灯)になった車両ですね。

キハ2247もヘッドライトはブタ鼻です。

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深川に到着し、キハ56系急行に乗って文明世界に帰還致します。

家族まるごとこんなツアーに付き合ってくれる事に感謝!

それ以上にこんな酷い企画をする私にも驚きを禁じ得ません。


この1977年春3月は、76年夏&76/77冬と2回東ドイツに撮影旅行に行った後で、現役合格して晴れて東ドイツ行きに弟が同行(行きも帰りも別行程だったかもしれませんが)する3回目との間に挙行された家族旅行でした。

あんなこんなと思い出すと「親父殿のおかげ」の範囲と奥行が余りにも大きい事に驚くばかりです。

先日ブログ上で親父殿、故井門昭二“本葬”が8月22日12時と書いてしまいましたが、間違いでした。

正しくは8月22日14時です。 (暑いのでまんいち来ても平服で!)
ただし、
親父殿は葬式に人を呼ぶ事を酷く嫌っていましたので来て貰わないのが宜しいのではないかと思います。

鉄道趣味の知人にはまったく案内をしていません。

幸い私の「鉄」仲間は私のブログを全く見ていない事がよく分ってきましたので安心して此処に書いています。

死ぬほど忙しいのにしつこく書くのは12時と誤報を発信してしまったのでそれが心配で心配で書いて居りますです。





2018/8/4

鉄子の旅より酷い 北海道1977-3  国鉄時代

親父殿が合流し、家族旅行は5人が勢揃いいたしました。

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サロマ湖を海を隔てる岬の先端の港を見に行きます。

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左がオホーツク海、左がサロマ湖です。

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このときはレンタカーでした。

観光に相応しくない目的地ですが親父殿と私の共謀に違いありません。

母上と妹、従姉妹は引き摺られてきているだけだと思います。 しかし、フィルムはもっと凄い翌日の観光を記録していました。

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常紋信号場に降り立った家族です。

蒸機時代は全ての各駅停車列車からこの駅に降り立つことが出来ますしたが、DL時代になって誰一人来ないので車掌さんに頼み込んで降ろして貰うことによって此処にやってきました。

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親父殿と常紋トンネルをバックにツーショットで写ります。

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常紋トンネル開通には多くの犠牲が出ました。

その辺りの経緯はこの田辺幸男さんのページをご覧ください。

http://www5.plala.or.jp/stmlo9600/sl/sl002.johmon.html

この慰霊碑には現在近づくことが出来ませんので巨大な代用品が立てられているようです。

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我々が通った道を歩かされている家族!

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俯瞰目的で登ったら降りるときはボブスレー状態で楽しむのが我々のパターンだったのでそれを家族に体験して貰いました。

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およそこんな所をラッセルして歩く装束ではない母上が登っているのは

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この列車を待避、兼撮影するためです。

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客レは乗客の目があるので俯瞰する位置で待避しますが貨物はこの程度でOK。

下り貨物列車。

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上り貨物列車。

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金華駅近くで国道によじ登ります。

バックに金華駅の構内が見えています。

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金華まで歩きました。 丁度良い散歩コースです。 しかも下り勾配!

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上り列車に乗って遠軽に帰ります。

昔、超寒い常紋信号場で待って乗ったあの夕闇迫る時間の客レと同じモノだと思います。

金華に駅員さんが配置されていること、6×6のネガが反ってしまい一部にしかピントが合わない事など驚きが多いです。

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さっきまで歩いて、登って、列車待避しながら通ってきた沿線を車窓に見て感慨深げな親父殿です。

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常紋信号場にて、蒸機時代と変わらぬ位置に列車は停まります。

せっかくの常紋→金華歩行の日が曇天だったのが悔やまれますが、吹雪じゃなくて良かった!

酷い旅行プランナー「イモン」の暴挙は続きます。








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