2018/8/4

鉄子の旅より酷い 北海道1977-3  国鉄時代

親父殿が合流し、家族旅行は5人が勢揃いいたしました。

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サロマ湖を海を隔てる岬の先端の港を見に行きます。

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左がオホーツク海、左がサロマ湖です。

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このときはレンタカーでした。

観光に相応しくない目的地ですが親父殿と私の共謀に違いありません。

母上と妹、従姉妹は引き摺られてきているだけだと思います。 しかし、フィルムはもっと凄い翌日の観光を記録していました。

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常紋信号場に降り立った家族です。

蒸機時代は全ての各駅停車列車からこの駅に降り立つことが出来ますしたが、DL時代になって誰一人来ないので車掌さんに頼み込んで降ろして貰うことによって此処にやってきました。

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親父殿と常紋トンネルをバックにツーショットで写ります。

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常紋トンネル開通には多くの犠牲が出ました。

その辺りの経緯はこの田辺幸男さんのページをご覧ください。

http://www5.plala.or.jp/stmlo9600/sl/sl002.johmon.html

この慰霊碑には現在近づくことが出来ませんので巨大な代用品が立てられているようです。

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我々が通った道を歩かされている家族!

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俯瞰目的で登ったら降りるときはボブスレー状態で楽しむのが我々のパターンだったのでそれを家族に体験して貰いました。

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およそこんな所をラッセルして歩く装束ではない母上が登っているのは

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この列車を待避、兼撮影するためです。

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客レは乗客の目があるので俯瞰する位置で待避しますが貨物はこの程度でOK。

下り貨物列車。

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上り貨物列車。

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金華駅近くで国道によじ登ります。

バックに金華駅の構内が見えています。

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金華まで歩きました。 丁度良い散歩コースです。 しかも下り勾配!

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上り列車に乗って遠軽に帰ります。

昔、超寒い常紋信号場で待って乗ったあの夕闇迫る時間の客レと同じモノだと思います。

金華に駅員さんが配置されていること、6×6のネガが反ってしまい一部にしかピントが合わない事など驚きが多いです。

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さっきまで歩いて、登って、列車待避しながら通ってきた沿線を車窓に見て感慨深げな親父殿です。

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常紋信号場にて、蒸機時代と変わらぬ位置に列車は停まります。

せっかくの常紋→金華歩行の日が曇天だったのが悔やまれますが、吹雪じゃなくて良かった!

酷い旅行プランナー「イモン」の暴挙は続きます。






2018/8/3

鉄子の旅より酷い 北海道1977-2  国鉄時代

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北海道旅行、函館駅から北を目指します。

乗るのは特急【北 斗】や急行〔すずらん〕では有りません。

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急行〔ニセコ2号〕103列車

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これで札幌を目指します。

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網走です。

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札幌で多分夕食(駅地下のラーメン店だと想像します)を摂り、517列車急行〔大雪5号〕で網走にやってきました。

オロハネ10に乗車したかもしれませんが、残念ながらA寝ではないと思います。 乗っていたら狂喜乱舞して覚えているはずです。

そして、おそらく湧網線8:15発で中湧別へ、そして名寄本線で遠軽へ。

(僅かに【おおとり】で遠軽へ向かった可能性もありますが・・・)

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そして親父殿が急行列車で旭川から到着。

飛行機で旭川空港、旭川駅へ出て急行〔大 雪〕で遠軽へ。

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遠軽で全員集合してまず行ったのは瞰望岩(がんぼういわ)の麓に保存されたデコイチ見物です。

私が変なポーズなのは、雪玉を投げてその雪玉をセルフタイマーで撮った記撮の中に入れようという魂胆です。

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ラッセルしながら辿り着いた瞰望岩の頂上にある公園です。

今日は此で終了です。

カメラは6×6しか持って行かなかった事を含めて凄まじい旅!

つづく






2018/8/2

鉄子の旅より酷い 北海道旅行1977  国鉄時代

鉄子の旅はご存知でしょうか。

鉄子が旅をする話ではありません。

強引な“乗り鉄”さんに“鉄”ではない女性漫画家が引っ張り回され、恐るべき体験を重ねる話です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%97%85

それに類する、いやもっと酷い行いをした息子(←私)の話です。

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大間のフェリー乗り場です。 1977年、3月中頃と推測されます。

我家は祖母、父、母、私、弟、妹、従姉妹の7名で構成されていました。

このときの旅行は祖母と弟(高校3年受験生)が留守番、父は仕事で後から追掛けて合流でした。

最初の数日間は当時大学2年生の私が引率者でした。

しかも、旅行そのものが私の計画通り実行されたのです。

記憶があやふやですが、そのときのルート始まりはこんな具合だったと想像されます。

上野→野辺地 【ゆうづる】

野辺地→大湊 大湊線DC

大湊→大畑 大畑線DC

大畑→大間 下北交通バス

大間→函館 東日本フェリー

この写真は東日本フェリーの切符を買いに立ち寄った時と想像されます。

何故ならばこの後写真には大間周辺の海岸線が写っているからです。

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大間港です。

かなりへそが曲がったルートで渡道しています。

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これは五稜郭です。

カメラは35ミリを持たず6×6のみだった様です。

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五稜郭にて、へんてこりんな旅行添乗員に連れ回される可哀想な家族です。

しかし、観光地に連れて行き私は鼻高々だったでしょうね。

(実は観光地は此が唯一なのです)

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函館の市電が写っています。

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このみぞれ模様の中、家族は私に連れ回されている様ですが、どこに泊まったか記憶が全くありません。

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これは函館駅前ですね。

宿泊に記憶が無いということは、無関心だったに違いありません。

つづく・・・









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