2011/6/13
定期検査中の原子力発電所の運転再開が見込めない関西電力が節電要請をしたところ、原発拒否派で自論を正しいことのように表現するのがうまい大阪府橋下知事が噛み付く。
そんな無責任な大阪府知事の発言は相手にしない。それが正解と思う。
なお、私は大阪府橋下知事や大阪維新の会は嫌いです。速やかに消滅して欲しい。(これには気が向いたら意見を書きますが・・多分、気が向かんと思う・・)
さて、関西電力。関西に住む方には、震災発生前に「関西の電力の約半分が原子力発電です」という関西電力のCMをよくご覧になっていたと思う。星野監督が出演していたCMですね。
少し調べてみると、関西電力では発電能力の約3割、実効的な電力供給では約4割強を福井県の3ヶ所の原子力発電所の発電する電力に頼っている。つまりこのまま定期点検を終了した原子力発電所が運転出来ないと発電能力の3割を失うことになる。
これから大量に電気を消費する夏が来る。このままでは、関西も電力危機が発生するのはないか?と考える。
正直なところ、福島第一原子力発電所の事故が長期化する現実を考えると原発廃止を訴える主張には理解が出来るところもある。さらに不透明な形での政府による中部電力浜岡原子力発電所の運転停止要請と実際の運転停止。国民的な意見として、原発に疑心暗鬼になっているのはないかと考えている。しかし、原発を「今」失えばこの夏は大停電の危機と向き合うことになる。
原発容認派、原発否定派それぞれの意見も、極論を除き、どちらも妥当に聞こえるし、そう理解している。
私自身もどちらが正しいか、判断出来ない。
しかし、この問題、長期的な課題と短期的な課題で検討すべきではないだろうか?
原発反対派の主張は、「原発は危険だから自然エネルギーへの転換」を叫んでいる。確かにそれは理解出来るが、現実にこれまで原子力発電で担ってきた発電容量を今すぐ満たす程の発電能力と技術はない。つまりこの主張を実現するには、「今」不足する電気に対する課題を克服しなければならない。簡単に言えば、「節電」が出来るかどうかである。
原発容認派の意見に関しても、福島第一原発の深刻な事態を目の当たりにすると、「やはり原発は危険だ」という思いが強くなる。
しかし。
現実を理想ばかりで語ることは出来ない。この問題を短期的(今後最長10年)と長期的(今後約10年後以降)に分けて考えてみるのはいかがであろうか?
短期的には福島の事故を教訓に安全対策を徹底的に見直した上で原子力発電所の運転は当面継続し、それに継続して自然エネルギーでの発電技術向上と設置。併せて、より安全な原子力発電の研究を行うべきである。
今以上に技術が進化すれば、現在は取扱に最大の注意が必要な原子力も安全に使える様になるかも知れない。
現在の豊かな生活の基本は「電力」である。それ故に誰もが失いたくない財産でもある。それを理解した上での対応が必要である。現在供給されている電力の相当の部分が原子力が支えている現状を踏まえ、短期的な視点と長期的な視点で議論したい。
その考え方から、短期的には原子力発電所の運転は再開し、長期的はその後の原子力技術の進化と自然エネルギーでの発電能力を比較した上で、検討すべきと考える。
(つづく)
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そんな無責任な大阪府知事の発言は相手にしない。それが正解と思う。
なお、私は大阪府橋下知事や大阪維新の会は嫌いです。速やかに消滅して欲しい。(これには気が向いたら意見を書きますが・・多分、気が向かんと思う・・)
さて、関西電力。関西に住む方には、震災発生前に「関西の電力の約半分が原子力発電です」という関西電力のCMをよくご覧になっていたと思う。星野監督が出演していたCMですね。
少し調べてみると、関西電力では発電能力の約3割、実効的な電力供給では約4割強を福井県の3ヶ所の原子力発電所の発電する電力に頼っている。つまりこのまま定期点検を終了した原子力発電所が運転出来ないと発電能力の3割を失うことになる。
これから大量に電気を消費する夏が来る。このままでは、関西も電力危機が発生するのはないか?と考える。
正直なところ、福島第一原子力発電所の事故が長期化する現実を考えると原発廃止を訴える主張には理解が出来るところもある。さらに不透明な形での政府による中部電力浜岡原子力発電所の運転停止要請と実際の運転停止。国民的な意見として、原発に疑心暗鬼になっているのはないかと考えている。しかし、原発を「今」失えばこの夏は大停電の危機と向き合うことになる。
原発容認派、原発否定派それぞれの意見も、極論を除き、どちらも妥当に聞こえるし、そう理解している。
私自身もどちらが正しいか、判断出来ない。
しかし、この問題、長期的な課題と短期的な課題で検討すべきではないだろうか?
原発反対派の主張は、「原発は危険だから自然エネルギーへの転換」を叫んでいる。確かにそれは理解出来るが、現実にこれまで原子力発電で担ってきた発電容量を今すぐ満たす程の発電能力と技術はない。つまりこの主張を実現するには、「今」不足する電気に対する課題を克服しなければならない。簡単に言えば、「節電」が出来るかどうかである。
原発容認派の意見に関しても、福島第一原発の深刻な事態を目の当たりにすると、「やはり原発は危険だ」という思いが強くなる。
しかし。
現実を理想ばかりで語ることは出来ない。この問題を短期的(今後最長10年)と長期的(今後約10年後以降)に分けて考えてみるのはいかがであろうか?
短期的には福島の事故を教訓に安全対策を徹底的に見直した上で原子力発電所の運転は当面継続し、それに継続して自然エネルギーでの発電技術向上と設置。併せて、より安全な原子力発電の研究を行うべきである。
今以上に技術が進化すれば、現在は取扱に最大の注意が必要な原子力も安全に使える様になるかも知れない。
現在の豊かな生活の基本は「電力」である。それ故に誰もが失いたくない財産でもある。それを理解した上での対応が必要である。現在供給されている電力の相当の部分が原子力が支えている現状を踏まえ、短期的な視点と長期的な視点で議論したい。
その考え方から、短期的には原子力発電所の運転は再開し、長期的はその後の原子力技術の進化と自然エネルギーでの発電能力を比較した上で、検討すべきと考える。
(つづく)

投稿者:夕焼け駅長