前回の父の足跡をたどるのつづきです。
60歳で愛知県土地改良事業団体連合会を定年退職したが、
その後も、再任用され、岡崎支会に通うことになった。
家から岡崎は、距離的には近いのだが
電車の系統の都合で、家から岡崎は、
名古屋と同じくらいの時間がかかる。
また、名古屋へは乗り換え無しだが、
岡崎へは乗り換えが必要。
とは言え、定年後の仕事は、定時に帰宅できるような仕事で
19時には、自宅で夕食が食べられたとのこと。
仕事も楽になり、父は趣味に時間を割くようになった。
休みの日には、カメラを抱えて写真を撮りに行くことが
多かったようだ。
バイクに乗って、三脚持って、
かなり愛知の奥地へもバイクを飛ばしていたとのこと。
その趣味の話は、追って別の回にでも
綴ろうと思う。
再任用は65歳までのようだが
その後は、バイトとして仕事を続けた。
東日本大震災では、ため池の崩壊により
被害が拡大した事案があった。
そのことから農水省主導の下、
ため池の緊急調査が行われたが
それにも携わったと聞いている。
その事業も終了し、2016年3月、
いよいよ長く携わった仕事から足を洗う。
バイトの間は、地域の行政区長(つまり町内会長)や
民生委員・児童委員の仕事を委嘱された。
田舎の集落には、
いわゆるオフィスワーカーのような
働き方をしてきた人は少なく、
父は、事務方として勤め上げてきたこともあり
集落では重宝されたようだ。
民生委員・児童委員もその一環で
回ってきたのではないだろうか。
民生委員・児童委員は、厚労大臣からの委嘱され3年の任期です。
また、身分は地方公務員の「非常勤特別職」として取り扱われる。
報酬としてはないが、活動費として年間7万円あまりが支払われるとのこと。
地元愛が強く几帳面な父には
もってこいの仕事だったかもしれない。
民生委員や行政区長を任されると、
小中学校の運動会、入学式などや
老人会など町の行事で来賓で招かれるようで
私の同級生から、父と会ったと聞くこともあった。
町の仕事もすべて無くなり、本当のお役御免。
そうこうしていたら、病気が見つかったという訳です。
最後の最後まで、
働くことに全うした父に敬意を表したい。

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