2016/12/26

佐世保線、C11、ハチロク、C57の話  国鉄時代

上有田鉄道ふぇすたでパワーポイントを使って説明した内容のお話です。

地図(事情により省略)と年表で地勢と佐世保線が造られていく経過を説明しました。

鳥栖から長崎へという路線を造るに当って、当初は武雄から嬉野経由で大村湾へ抜ける構想だったところ、嬉野は鉄道開通反対(←伝染病を嫌ったとか)有田が誘致に熱心だったために有田、早岐を経由して大村、諫早、長崎に向かった様です。

当初早岐から折り返して佐世保に向かう路線が「佐世保線」として開通、難関を突破して有明線が開通してから(その名前が消えたものの→)有明線経由が長崎本線になるまでは有田、早岐を通るルートが長崎本線だったわけです。

それ故に早岐〜佐世保の3駅区間だけ進行方向が変わってしまうし少し厄介な佐世保線が出来てしまったという説明です。

その御陰でC11による特急牽引が実現したわけです。

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昭和42-07-13 佐世保線大塔〜日宇 C11牽引2001レ【さくら】 榊原茂典さん

ヘッドマークが無くて残念と言うことですが、撮られていることが凄いの一語に尽きます。
榊原茂典さんは『蒸気機関車を語る会』などなどで時折ご一緒します。

今回“上有田鉄道ふぇすた”で写真をお借りし、上有田駅舎に展示して佐世保線の歴史紹介に使わせて頂きました。

ご本人のブログ↓にもっともっと多数の素晴しい写真が登場します。

パワポ用にトリミング等触ってあるかも知れません申し訳ありません m(_ _)m

http://members3.jcom.home.ne.jp/shigefumi-sakakibara/nagasakihonsen.htm

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昭和42-07-13 大塔〜日宇 58697牽引209レ京都発佐世保行〔平 戸〕榊原茂典さん

【さくら】に続行してくる急行〔平 戸〕です。

早岐でスイッチバックするため、8620は本務機で早岐まで正向きで牽いてきたC57はこの区間では後補機です。

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昭和43-02 佐世保線佐世保に到着する2001レ【さくら】堀越庸夫さん

こちらもC11が本務機、DD51は後補機となります。

堀越庸夫さんも『蒸気機関車を語る会』などなどで時折ご一緒しますが、やはりご自身のブログで素晴しい写真の数々を公開されています。

http://locomotivesteam.web.fc2.com/KakoList.htm

佐世保線関連は2013年12/1〜3/31に公開し、現在は展示終了となって居りますのでこちら「上有田」関連写真でご容赦ください!

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  “北辺の機関車たち”の著者のひとりでもあります。

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昭和43-02 佐世保線佐世保に到着した2001レ【さくら】堀越庸夫さん

後補機DD5143は肥前山口〜早岐間は単機で牽引してきました。2両目は簡易電源車マヤ20形

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昭和42-07-13 佐世保線佐世保〜日宇2002レ【さくら】 榊原茂典さん

上り【さくら】です。

C11にはヘッドマーク取付用ステーを取付ける改造を施したものの、ヘッドマーク取付そのものは僅かな区間であったことなどから省略されることが多かった様です。

また、下り【さくら】の先頭に立つときの炭庫側にステーが有ったのは1両だけという話も聞いてしまいました。

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昭和41-04-30 早岐駅上り2002レ【さくら】C11370 八木邦英さん

八木邦英さんも『蒸気機関車を語る会』などなどで時折ご一緒します。

タクト・ワンの蒸気機関車写真集に多数写真を提供されています。

この【さくら】ですが、機関車次位がマニ20簡易電源車ではなく、カニ22です。 この編成はカニ22、ナロネ22、ナロ20と続く20系【さくら】の基本編成で、昭和40年10月1日より1年間長崎を差し置いて基本編成を佐世保に向かわせていました。

佐世保線は進駐軍専用列車が走っていたことも有り、昭和30年代あたりまでは長崎本線よりむしろ優遇され、門ハイの方が門サキよりも客車が上等だったという印象が有ります。

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昭和41-04-30 早岐駅上り2002レ【さくら】 八木邦英さん

先程の【さくら】が早岐に到着した姿が右端1番線のDD51(ここまで後補機)ですが、少し変わった色のヘッドマークを付けています。
この時代に存在した青い桜のヘッドマーク、違和感が有ったと言われるものです。

中線に客車、2番ホームにC57124が停まっています。

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昭和41-04-30 早岐駅佐世保線442レC579 八木邦英さん

佐世保線上り鳥栖行、【さくら】続行でやってきます。

普通は逆向きで牽いてきて早岐で付け替えて此処からは前向き運転というパターンが多いのですが、僅かなこの区間を前向きで来たのは、3番ホームに入線し、C579を解放、2番ホーム停車中だったC57124が転線して上り方先頭について発車すると見て間違いないと思います。

井門義博は中学受験に成功した12歳の春、親戚の居る唐津から子供だけ(義博一人なのか兄弟なのかは不明)で上有田に来ました。 唐津で乗った駅が唐津駅なのか東唐津駅なのかは判りませんが、伊万里から松浦線で有田に来ました。

8620も見たと思いますがC11が客車2〜3両牽いた列車だった感じがします。

有田から佐世保線に乗り換えて上有田へ来ます。

そのとき有田→上有田を乗車したのがこの442列車と見て間違いなさそうです。

有田で入線してきた佐世保線の列車はC57が牽く長い列車で、何両牽いているのか数えられなかった事を覚えています。

(今此処に見える本日の列車はたった6両ですが、おそらく8〜9両だったのだろうと想像します)

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昭和43-09-30 佐世保線貨物列車D511062 武雄〜永尾 村樫四郎さん

佐世保線の貨物列車はD51だったんです。

上有田で442レを降りて、列車が発車してしまうと上り貨物列車が停車中でした。

D51です。

「こいつがデコイチか!」

ブルトレ、京急少年だったイモンはSLブームと言って皆がSL!SL!と言う事に反感を持っていました。

SLって恐ろしげだなァ、シューシュー!言っていていつ凄い勢いで蒸気が噴き出しても、爆発しても不思議は無いな!

(おそらく442レが三間坂に到着して閉塞が空いたのでしょう・・・)

そんな時、突然大きな汽笛を鳴らし発車していきました。

汽笛の音、度肝を抜かれました。

蒸汽機関車の汽笛に匹敵する大音声はまずなかなか無いです。 火力総合演習の戦車砲実弾発射はもっと大きいですが・・・

イモンがゆっくりとではありますが蒸汽機関車に傾倒していくきっかけとなった事件です。

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昭和43-09-30 佐世保線貨物列車後補機C11160 武雄〜永尾 村樫四郎さん

佐世保線下り武雄〜永尾の区間は西谷(ニシダン)峠と言って25‰が連続する大変な難所です。

C11の補機が後押し、時に前に付く事もありました。

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昭和43-09-30 佐世保線 永尾〜武雄 村樫四郎さん

C11補機が武雄まで回送で帰るところです。

この画像を展示したので講演終了後、あのC11を撮ったお墓は今もありますよ!

と教えて頂ました。

たぶん講演の時も私は写真の説明が長かったに違いありません・・・

余り長いのでここ(西谷峠)の途中ですが、つづく!







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